広島護国神社 (2021年1月30日)
戦前は広島市民球場跡地付近にあったのですが昭和20年に投下された原爆で全て焼失。その後広島城跡に再建されました。市民の憩いの場所として親しまれる県下有数の神社で戊辰戦争で陣没した浅野藩士78柱を祀ったのが創建で、以来、大東亜戦争に至るまでの数々の戦争で戦没した英霊、原爆犠牲となった動員学徒、女子挺身隊などおよそ9万2千余柱の神霊を祀っています
太田川河口の三角州に、毛利輝元が築いた典型的な平城の広島城は国の史跡に指定されています。この付近が己斐浦( こいのうら)と呼ばれていたことに由来し鯉城(りじょう)とも呼ばれています
内堀に浮かぶ二の丸の外観。平成6年に復元された太鼓櫓、多聞櫓、平櫓などなどを有する。御門橋を渡り二の丸表御門から入ります。城跡には二の丸、本丸のみが残されています
二の丸内には原爆にも耐え、 生き残ったも被爆樹木のユーカリが大きく根を張り勢いよく芽吹いています
令和3年の護国神社の初詣は、新型コロナウイルス感染症拡大防止の観点から分散参拝を推奨しているためかこの時期になっても多くの初詣の参拝客が訪れていました。神社では2月半ばまで初詣の対応を行うそうです
拝殿の軒下には今年の干支「牛」の絵馬が掲げられています。平成5年に御大典記念事業として本殿、拝殿などその他の諸施設が改装されました
本殿の両サイドにには大きな鯉が滝を上る「昇鯉(しょうり)の像」があります。また勝利とかけて広島カープが必勝を祈願するため毎年参拝することでも知られています
鯉の形をしたかわいい「鯉おみくじ」があります。鯉にちなんだお守りや御朱印にも鯉の判子が押してあるそうです
広島城の天守閣を目指して行くと途中には日清戦争に際して、明治天皇の行在所として設けられた大本営。2階建ての木造洋館だったそうですが基礎と礎石だけが残っている広島大本営跡です
広島城の内部は武家文化を中心に紹介する歴史資料館で、武家文化を中心に紹介する歴史資料館で、美術工芸品などを展示していますが現在は入ることができません。「鯉城」とも呼ばれています。5層の天守閣は昭和33年に再建されました
現在世界遺産の原爆ドームは保存工事が行われています。建物を囲むように築いた鉄筋の足場が築かれ塗装やひび割れ補修作業が行われています。もう一つの世界遺産である宮島の厳島神社の大鳥居も保存修理が行われています