大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台になっている萩。毛利36万石の城下町の面影が残り、幕末の志士ゆかりの地や歴史を感じる通リ、土塀と夏ミカンなど風情あふれる町並みをぶらりとあるいてみました
No.1ロマンチックなパンフレットに誘われて、最初に笠山椿群生林の椿まつりに・・・・笠山の北端に25,000本のやぶ椿が自生。2月中旬ごろから咲き始め3月にかけて見ごろを迎えます。この時期に合わせて椿まつりが開催されます。市指定天然記念物に指定され、椿は萩市の花に指定されています
日本海を眺めながら、原生林の中をひたすら歩く。木漏れ日のさす林の中は神秘的です。萩小町、深草の少将、笠山黒、萩の里など幾種類もの椿の花があるようです
木の高さが高いのであまり花をつけているのを見ることは出来ません。落ちた紅い椿の花が歩道を埋めているのが趣があるらしい、この日はあまり落下してなくて、さほそ感激はありませんでしたが、見事な群生林には驚きました。(風の強く吹いた翌日が見頃らしいです)
吉田松陰が生れ、松下村塾を主宰し、数多くの志士たちを生み出した維新源流のの場所。松陰やその門下生たちの史跡が数多く集中しているエリア
明治23(1890)年に吉田松陰を祀って建てられた神社。萩藩士杉百合之助の次男として長門国の萩城東郊に位置する松本村に生誕。幼名は寅之助
吉田松陰歴史館 松陰の一生を紹介
松下村塾 杉家の庭先の小屋を改装し塾舎とし、これが現在も松陰神社境内に保存される松下村塾です。塾を主宰した松陰は数多くの人材を育て、明治日本の礎となります。安政6年安政の大獄により29歳で刑死する。高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など明治新政府に活躍した多くの逸材を育てた
吉田松陰幽囚の旧宅 木造瓦葺き平屋建てで、3畳半の一室に幽囚されていた
松陰神社本社 明治40年(1907)創建。現社殿は昭和30年(1955)に竣功
井上剣花坊退の句 萩出身の川柳作家 偉大なる存在なりし松下塾)
花月楼江戸時代の茶室。松下村塾出身の品川弥二郎建設
松陰神社宝物殿至誠館 吉田松陰の遺墨や遺品類などを展示しています
伊藤博文旧邸 生れは熊毛郡なのですが、14歳の時(伊藤直右衛門)の養子となり、この家に住むようになり、17歳の時に近くの松下村塾に通い、吉田松陰の教えを受けたそうです
茅葺き平屋建てで風呂場と便所が野外にある当時の農村にあった典型的な下級武士の住宅です。伊藤博文の学業時代を偲ばせる貴重な史跡です
伊藤博文新邸 旧邸の隣にあり博文が晩年のとき、明治40年(1907)に東京大井町に建てられたものを萩に移築。江戸時代に下級武士である中間の身分の子どもであった博文が、初代の総理大臣までに昇りつめた。二つの建物がそれを物語っているようです
玉木文之進旧邸 吉田松陰の叔父にあたり、杉家から出て玉木家を継ぐ。学識に優れ近所の子供を集めて教授し、松下村塾とする。それを継承したのが吉田松陰で、松下村塾発祥の家
東光寺 毛利吉就が1691(元禄4)年に創建した大照院とならぶ毛利家の菩提寺。3代〜11代までの奇数代藩主夫妻が葬られている (2015年2月24日)