2018年もスタートしました。いろいろなことがあった2017年の悩みを水に流し、年始の “神頼み”で初詣に出かけました。今年を勝ち抜き、幸せを呼び込もうと、いつもとは違い地元以外の社寺に一年の感謝や、新年の無事と平安を祈願してきました。今年一年健康に過ごせますように・・・・との願いを込めて
広島県大竹市白石にあり、推古天皇の瑞正5年(597)旧暦9月19日に、多岐津姫命が推古桜の所在地である弥ケ迫(いやがさこ/現在の元町4丁目)に鎮座されたのを創始とし、寿永3年(1184)頃からは厳島神社領であった。そのが何度か移転し現在に至る
拝殿は入母屋造で、正面に千鳥破風(ちどりはふ)、軒唐破風(のきからはふ)付きの向拝を付し、丸柱を用い格式が高い社殿でその寛容、景観ともに近郷随一の御社殿として信仰をあつめ、大竹の氏神さまとして今日に至っている
大竹市玖波にあり、宮司さんのおられない神社で創祀年代は詳らかではない。玖波と地名が付いたのは、大歳神社が玖波郡山城生見村と深いかかわりを持っており、当時神社の前面が入江で波打ち際であったために、玖珂の玖の字の下に波を付けて玖波となったとのいわれがあるそうです。近くには憩いの森があり滝壺が綺麗なエメラルドグリーンの錦龍の滝があります
「おおもりさん」と呼ばれ親しまれ、現在地に遷された社殿は、享保3年(1718年)、安永4年(1775年)に再建しており、明治22年にも火災があり、江戸時代から3回の再建が行われています。また、昔から御壺と呼ばれるつぼ型の入物を使って、翌年の作物の状況を占う神事があります
大竹市油見にあり、地名の一説として大森神社の右手に、国郡誌に記載されている「麓池」があり、そこから油が浮き出たことから名がつけられたといわれている。大竹市の町が一望できる高台にあります
下松市末武上の山の上に建立され全山が一夜 にして花に包まれたという伝説が残ることから「花岡」と称するようになったと言われ古くから 霊験あらたかで、大内義隆や、天下統一の偉業をなした 豊臣秀吉など、多くの武将の崇拝を集めた由緒ある神社
藤原鎌足が創建したと伝わる、八幡宮 日本十六塔の一つの多宝堂。高さ13mの柿葺(こけらぶき)屋根の二重の塔は、国指定重要 文化財です
古くから旧 山陽道の門前宿場町として大いに栄えてき花岡は、歴史を物語る貴重な文化財や現在もその周辺には、格子窓や漆喰の民家など、旧街道の面影が残っています
周南市宮の前にあり新南陽市富田河内(とんだこうち)の神室山(みむろやま)に神が降臨されこれを祀ったとの説と豊前国宇佐より御分霊を祀ったとも言われている
毎年9月には山口県の無形民俗文化財に指定されている本山 神事があり、高さ約10メートルの境内から山車を落として家内安全や豊作などを祈願 する伝統行は多くの人で賑わうそうです
周南市川崎にあり安産とお乳の観音様として古くから多くの信仰を集めている。毎月17日に「お接待」があり、多くの参拝者で賑わいます。眼を患っている人のための目洗いの井戸には硬貨が沈んでいます
長い石段を登りつめると正面委には観音堂があり、産後にお乳がよく出るように お乳の形をした絵馬を奉納する人も多く、別名「おっぱい観音」と呼ばれ親しまれています
駐車場から眺めると迷路のようになっています。国道2号線沿いにあります
周南市遠石に622年、推古天皇の時代にご神霊を奉安し、和銅元年(708年)に創建。 周南石油コンビナートと山陽新幹線を見下ろす高台にある
本殿などは国登録有形文化 財に指定されている。厄除開運、家内安全、交通安全、事業発展、必勝、安産などのご 神徳があり、多くの参拝者が訪れ続けている
県内屈指の伝統を誇る遠石八幡宮の境内には、結婚式場「遠石会館」があります
今ではどの神社にも必ず本殿のさい銭箱近くには、二礼、二拍、一礼と参拝の仕方が記されています。新しい年の初めに初詣に行く、それが年始の行事になって久しい。ご利益のほどはわかりませんが、一年を健康で元気に過ごしている。それがご褒美なのかも・・・・まだまだ知らないところに出かけ多くの素晴らしいものを見つけ、感動したいと思っています (2018年1月3日&6日)