大久野島 (竹原市)

竹原市の忠海港から船で約15分、瀬戸内海に浮かぶ小さな島 大久野島 は、かつて日本の化学兵器製造拠点として毒ガスの製造が行われ、戦争中は秘密の島として地図からも消されていました。今も発電所や毒ガス貯蔵庫の跡など当時の面影を残す戦争遺跡が残されています。現在は国立公園に指定され、約700羽のうさぎが生息する 「うさぎの島」 として知られています。大久野島は瀬戸内海芸予諸島の一つであり無人島 でもあります

ウサギの島大久野島への玄関口 忠海(ただのうみ)港 の様子。漁船だけでなく個人の停泊船もあります

忠海港すぐ傍には 「アオハタジャムデッキ」 があります。工場見学&有料で自分だけのオリジナルジャムづくりを体験することができるようです。本日(木曜日)は定休日でした


大久野島への玄関口・忠海港の売店で乗船券(往復620円)を購入。店内には欲しくなる可愛いうさぎグッズのほか、うさぎのおやつ、お土産物などが並んでいます

港からは大久野島行きと愛媛県今治市の大三島行きの旅客定期船が発着しています。今から乗船する客船にもうさぎのイラストが・・・・

第二桟橋を渡り終えるとすでにうさぎがお出迎え!人懐っこく愛くるしい。島は歩いて一周しても1時間もあれば充分です。早速桟橋と休暇村大久野島を結ぶ無料シャトルバスに乗ります

休暇村大久野島 ヤシの木が並び南国ムードのホテルです。島唯一の宿泊施設で海の幸が堪能できるそうです


ホテル前の広場には沢山の野生のうさぎがのんびりとのびのびと過ごしています。地面には無数の穴があり、大久野島のうさぎたちは穴を掘り巣穴で生活している「あなうさぎ」の種類だそうです

可愛い表情に癒されますが餌の取り合いで喧嘩になり怪我をすることもあるそうで多すぎる餌やリは禁物だそうです

大久野島毒ガス資料館 毒ガス製造の実態を隠すため大久野島が消された地図や、毒ガス製造の悲惨さを伝えるため毒ガス防護服等当時の資料が展示されているそうです

大久野島ビジターセンター 大久野島の自然や歴史に関しての展示をしています

島の南岸に並んでいるうさぎの耳のオブジェ。うさぎの耳をかたどった集音器で耳に当てると波の打ち寄せる音とか風の音が聞こえます

大久野島灯台 2016年にロマンスの聖地「恋する灯台」に認定されたそうです。白い灯台に碧い海、ロマンチックな雰囲気が漂っています。第2桟橋に戻り島がたどった戦争の歴史を語る遺跡を探しに行きます。また島内にはアウトドアを楽しめるキャンプ場もあります

芸予要塞時代に造られた桟橋。毒ガス工場時代に他の桟橋が整備された後は、本土からよく見えるこの桟橋は毒ガス工場の存在を秘密にするためには好ましくない場所にあるため、利用されなくなったと伝えられています


発電所跡 トンネルを抜けると現れる巨大な廃墟となった建物が発電所跡です。第2次世界大戦時は島の電力をまかなっていた発電所で朝鮮戦争時は弾薬庫として使われていました。トンネルや建物に書かれている黄色の文字「MAG?」は何なのでしょうか


発伝所跡から山道をかなり歩くと 北部砲台跡 に着きます。日清戦争後、広島と呉を守るための要塞(芸予要塞)として設置され、北部・中部・南部と三つの砲台が置かれていました。毒ガス製造時代毒ガス製造時代にはタンクが置かれていたそうです.島内最大の貯蔵庫だけあって巨大で要塞時代の姿をよく残ししていて、頑丈な造られいかに重要な場所だったのかがわかります

貯蔵タンク跡 たくさんの毒ガスが貯蔵されていたタンク置き場の跡。野ざらしの地面に台座だけがずらりと並んでいます。北部砲台跡には8門の大砲が置かれており、戦後毒ガスの処理により多くの毒ガスタンクは焼却処分されました


地下兵舎跡

どうして大久野島にうさぎが?詳しいことは不明なのですが、地元のある小学校で飼われていた8羽が放されて野生化し、繁殖したという説が有力のようです。大久野島はうさぎ達が平和に暮らす楽園の反面、別世界に迷い込んだかのような戦争の歴史を物語る風化した建物が点在し、激動の時代を歩んできたことや島で何が行われていたかをうさぎたちの案内で知ることができました。島中に生息する愛くるしい目をしたうさぎ達に癒され穏やかな気持ちになれた一日でした  (2021年2月12日)